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宇波神社

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  祭  神:大山咋神 市杵姫命
  説  明:境内案内板から引用します
      「明治八年四月二十七日
       宇婆神社
       明治八年四月二十八日
       宇波神社
       六郷八字加納延喜式内の神社にして埴安姫命祀る
       社域 弐百六拾八坪 周囲に土塀を繞らせり
       社殿は南面す 一に天王と称せり
       日本書紀
       孝元天皇妃河内青王繋女
       埴安媛 生武埴安彦を祀る
       従三位と記せり
       
       大阪府全誌
       宇波神社は北方瓦口にあり延喜式内の神社にして埴安姫命を祀れり今は熊野と称す 創建の年代は詳ならず
       河内国内神名帳には神位を従三位と記せり 明治五年村社に列せられる
       境内は弐百参拾八坪を有しhンデンの外に拝殿神饌所を存す
       末社には芳の神社水分神社を有す
       民地は本地一圓にして祭日は十月十六日なり
       
       宇波神社の伝説
       宇波神社は明治の八年まで宇婆神社の称号で祭祀されていました。
       宇は宇宙の宇であり、空を指しています。
       空は物理的にも真理学的にもはかり知れない大自然の神秘です。婆は娑婆の婆であり、世の中又は社会を指
       しています。
       仏語では忍土堪忍土忍界と漢訳されたものです。
       又婆の一字は般若心経ではお釈迦様一代の経八万四千字の中より撰びいたされたる二百六十余文字の中の一
       字です。神前にて唱え奉れば宝の御経、仏前にて唱え奉れば花の御経なりと言はれ神仏一体のいさせ給う真
       理の心経であります。
       宇波神社は昔から門のある神社でした。
       門のあるのも仏教的な影響を受けて祭祀されたと思はれますが、深い因縁があるのでしょう。
       
       浄三業印明
       身口意につくる所のもろもろの罪業を滅して清浄なることを得せしむる印明也
       唵薩縛婆縛駄薩縛(おんそわばんわしゅださつわ)
       達磨婆縛婆縛輸度吟(だろまそわばんわしゅとあん)
       平成七年五月二十八日
        佐和靖石 書」
      「宇波神社の秋祭り
       宇波神社の祭神は埴安姫命で字瓦口に鎮座しています。延喜式内社で神名帳によれば従三位を授けられてい
       ます。(大阪全誌)神社の周辺は、まわりより少し小高くなった所で、古代は水辺であったようで、この附
       近を白肩の津と呼び、船が停まれるような深さをもっていた所であったようです。加納の北西部に小字名で
      「シカタ」という所があることからも推定されますが、波打ち際に祀られた神社であったようです。
       この神社では、秋祭りになると獅子舞が各家を回ります。
       昭和45年頃までは、中地区の北部の各地で舞われていましたが、最近では、宇波神社に見られる郷土芸能
       として、貴重な伝統行事になりました。獅子舞は獅子の面の人と天狗の面をかぶり、ササラを持つ人が踊り、
       囃しは笛を使います。以前は十数種の踊りと吹き方を伝えていました。各家を訪ね五穀豊穣と家内安全を願
       って祓って歩くのです」
  住  所:大阪府東大阪市加納2‐19‐26
  電話番号:
  ひとこと:神仏混淆の神社みたいですね。
       このあたりで埴安姫を祀るのは珍しいかも。
       
       ……そういえば、私が子どものころにはまだ、富田林の寺内町あたりには獅子舞が来ていました。
       頭を噛まれて泣いた記憶もあるんですが、いつの間にかなくなっちゃいましたね……。
       
       寺内町に来ていたのは、どこの獅子舞だったんだろう?神社じゃなくて、興正寺かな?やっぱり。
      「寺内町」ですもんね。

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