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宇奈多理坐高御魂神社

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  祭  神:高御魂尊 天太玉命 思兼命
  説  明:境内案内板を転記します。
      「由緒
       延喜式内の大社で、月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。
       古文書では、宇奈足とも菟足とも書いている。武内宿祢の勧請と伝えられ、
      『日本書紀』によると、持統天皇六年(西暦692年)十二月二十四日には、新
       羅の調を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の五社に奉るとある。
       その一社で、この神社の神戸(かんべ)は、正倉院文書の天平二年(西暦73
       0年)大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、いずれも神名は菟名足となって
       いる。
       江戸時代には揚梅神社と呼ばれたこともあり、今、『うなたり社』とか、『西
       の宮さん』とか言っているのは近郷だけの通俗の略称である。
       本殿は室町時代の遺構を残し、三間社、流造桧皮葺で、国指定の重要文化財で
       ある。
       境内一帯は、平城天皇の揚梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。
       御祭神三座
       高御魂尊(中座)
       高天原にましました神で、天御中主尊・神産日尊と共に造化の三神として御神
       徳極めて高く鎮魂の神であらせ給う。
       高天原に大事あるときに諸神を率いて事にあたり、常に天照大神を助け、八百
       万の神を指揮し給うた神。
       天太玉命(東座)
       高御魂の御子、神事を掌り給う神で、天岩戸の祈請のとき、その御前で大太串
       を奉持され、祭祀を以て天照大神にお仕え遊ばされた神。
       思兼命(西座)
       高御魂の御子、数多くの思慮を一身に兼ね持ち給うたと言う意で、高天原に大
       事のあった時、画策して事ならなかったことは無いと言う。
       境内社
       みな天孫降臨に随従された神々を祀る。
       天鈿女命社
       天岩戸の前で神楽を舞い、天孫降臨に随従された女神。芸術の祖神。
       猿田彦命社
       天孫降臨のとき、先頭に立って八ちまたの邪神を祓い、交通安全に導かれた神。
       手力男命社
       天岩戸の変のとき岩戸を開いて、天照大神を助け申しあげた力の強い神で、天
       孫降臨に随従された神。
       大宮媛命社
       太玉命の御子、天照大神に使え、世を平和に導かれた神。
       豊岩窓命社
       天太玉命の子で、別名を天岩門別神、御門の神(門戸の守護神)天孫降臨のと
       き天照大神の勅を承り、思兼命・手力男命と共に豊葦原に降り給うた神。」
  住  所:奈良市法華寺町600
  電話番号:0742−27−5299
  ひとこと:「坐」がつく神社には興味津津なんです。
       その後に、「天照御魂神社」がつく社名が多いというのがその理由。
       
       もちろん、いろんな社名がありますよ。
       私が実際に参拝している神社でも、
       
       粒坐天照神社
       調田坐一事尼古神社
       矢田坐久志玉比古神社
       村屋坐弥冨都比売神社
       池坐朝霧黄幡比売神社
       平群坐紀氏神社
       和爾坐赤阪比古神社
       飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
       
       などなど。
       
       この神社の場合は、「天照御魂」ではなく、「高御魂」なわけですが、それも
       また興味をそそるところです。
       
       さて、いきなりかついまさらですが、「天照」ってなんでしょうか。
       
       丹後半島にある籠神社の社伝によれば、
      「彦火明命 亦名火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、
       又極秘伝によれば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、そ
       の御祖の大神(下鴨)も併せ祭られている。
       彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜り、大和国及
       丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国
       造の祖神であらせられる。」
       とあり、つまり、彦火明命の別名だと説明されているようです。
       
       彦火明命は、天孫・瓊々杵尊と木花咲耶姫命の間に生まれた男神のうちの一柱
       です。
       
       また、天照国照彦天火明奇玉饒速日尊といえば、天孫瓊々杵尊の兄上にあらせ
       られる。
       というより、物部氏の祖神と言った方が話が早いでしょう。
       
       個人的に気になっているのは、上記した「坐」がつく神社の中で、
       
       粒坐天照神社
       矢田坐久志玉比古神社
       村屋坐弥冨都比売神社
       
       はそれぞれ、物部氏と関係が深いことを社伝の中で、もしくは境内者などで充
       分想像できるということ。
       
       なぜそうなるんでしょうか?
       
       物部氏は謎の多い氏族ですよね。
       
       魂振りの術を持ち、死した魂をも生き返らせたとされます。
       そして、先代旧事本紀にある、
      「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部」
       の布瑠の言。
       
       この呪文には、何を震わせるのか、何を揺らすのかが明確にはでてきません。
       
       十を数えながら、何かを揺らし、魂を呼び戻す……。
       
       揺らすものとは、単に呪具なのかもしれませんが、私はもっと単純に、
      「たましいを揺らす」
       のではないかという気もしています。
       
       大いなる御魂の宿る場所において、死者の魂をぐらぐらと揺り動かし、一度天
       に召された魂を呼び戻す……。
       
       そういう想像の方がしっくりくるのですが。
       
       とすれば、「○○坐○○御魂神社」という社名に表される「御魂」は、神名で
       はなく「天の光照らすところから」「高いところから」戻ってくる御魂のこと
       
       ……なんてね(笑)
       
       妄想です。
       
       しかし、「坐」という文字が気になるんですよね。
       なぜ、「この地に鎮座した」というような文言が必要なのかと。
       
       単に、「○○神を祭る神社」でいいじゃん。
       なぜ、わざわざ「この地に鎮座した」と説明するのか、と。
       
       ま、妄想です。
       
       とはいえ、「坐」の神社。
       見つけたらまた、参拝してみたいと思います。

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