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与九郎稲荷

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  祭  神:与九郎狐
  説  明:天正山西方寺のしおりを転載します。
      「源義経と静御前が吉野にのがれたとき、この二人に従う若武者継信、忠信の兄弟がありました。
       この兄弟は、実はキツネの化身でありました。歌舞伎『義経千本桜』で名高い物語りですが、こ
       の二人は自分たちの母ギツネが猟師にとられ、その皮がつゞみとして静御前の持物となっている
       のを知り、母を慕って義経に従ったのでした。兄弟ギツネは義経から九郎の名を貰い、兄は与九
       郎、弟は源九郎と名のりました。弟ギツネが大和郡山の源九郎稲荷の祭神であり、兄継信が与九
       郎稲荷として当山境内に祭られています。
       別の伝説に、その昔毎晩のように住職を相手に非凡な力量で碁を打つ与九郎という老人がいまし
       たが、正体がキツネとわかり、村人たちの手によって殺されてしまったという話があります。そ
       の奇才を惜しみ、またその非業の死をあわれんで祠を建てて祭ったのが与九郎稲荷だともいわれ
       ています」
  住  所:大阪府富田林市富田林町2番7号(旧毛人谷村)
  電話番号:0721-23-2317
  ひとこと:ここは私の小学校のすぐそば。
       放課後によく遊んだ場所でしたが、与九郎稲荷の伝説は知りませんでした。
       
       住職さんに、もう少し詳しい話はないかと尋ねたところ、『見てある記⑪ 河内飛鳥』という冊
       子のコピーをくださいました。
       
       与九郎稲荷についての箇所のみ引用しますね。
      「与九郎稲荷のこと
       むかし、京都の紫宸殿の近くに、白ギツネが住んでいた。その白ギツネに二匹の子供ギツネがい
       た。親のキツネは、不幸にしてに人間に捕らえられ、鼓の皮に張られてしまった。源義経の奥方、
       静御前の愛用した鼓こそ、親ギツネの皮の張ったものであった。
       子供ギツネは、その鼓がほしいため、継信、忠信という忠臣に化けて義経に仕え、その機会を待
       っていた。吉野へ下る破目に追い込まれた義経に供をして、忠勤に励んだ兄弟は、義経からその
       鼓を与えられ、九郎判官義経の九郎という名まで贈られ、兄を与九郎、弟を源九郎と改めた。そ
       して兄は、河内国へ来て、毛人谷の森に住み、弟は大和国へ行き、郡山に住みついた。
       そのころ、西方寺の住職は、大変に碁が好きであった。当然、この寺には碁の好きな連中が集ま
       るようになった。いつのころからか、この寺へ与九郎という老人が、碁を打ちに通うようになっ
       た。この与九郎老人、滅法に碁が強く、さしもの住職も、五番に一番しか勝てないほどの腕前で
       あった。ところが、不思議なことに、狭い寺内町にもかかわらず、だれ一人として、この老人を
       知る者がいない。一度、老人の招待を突き止めよう……ということに衆議一決した。ある晩、住
       職と老人が対局している機会を利用して、村人たちがこっそり庫裏に近づいて驚いた。障子に映
       っている老人の影は、太いしっぽを持ったキツネの姿であった。仰天した村人たちは、キツネを
       退治すべく駆け戻り、早速、好物の天ぷらを作って、森の中に置いた。何知らぬ老人は、明日の
       対局を約し深夜、寺を立ち出たところ、大好物の天ぷらのにおいがする。思わず正体を現して、
       鼻を鳴らしながら近づいたところを、待ち伏せていた村人に捕らえられてしまった。
       翌朝、この報告を聞いた住職は、畜生ながら非凡な碁を打つキツネを不憫に思い、寺の境内に祠
       を建てて、懇ろに祭ったのが、この与九郎稲荷である」
       
       富田林の寺内町は、中野・新堂・毛人谷・山中田の八人衆が浄土真宗の興正寺を中心に
       始めたもの。
       
       寺内町には杉山家という旧家があり、そこに大きな太鼓が飾られていました。
      「新堂○○」と、製作者の名前が書かれていて、気になっていたんです。
      
       私のじっさまはこの寺内町のはずれに住んでいましたが、新堂についての話はいろいろと聞かさ
       れました。
       決して差別的な思想のある人ではなかったと思うのですが、若いころにいざこざがあったとか。
       
       毛人谷という地名からも、幕府や朝廷からは異端の人々が住んでいた場所なのではないかと思い
       ます。
       
       このあたりの氏神様は、楠木正成公が深く崇拝した美具久留御魂神社ですしね……。
       美具久留御魂神社は私の産土神社でもあります。
       
       与九郎狐とは、源九郎狐とは、ひいては源九郎判官義経とは何者であったのか。
       いろいろ想像力をかきたてられます。

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