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百合野神社

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  祭  神:百合野神
  説  明:平成祭礼データによると、丹生神社の境内社です。
       丹生神社のご由緒を転載します。
      「勧請年月日は不詳なれども明治維新に至るまで高野山地頭の信仰篤く、年々祭
       祀料、米10石を寄進せられその他、臨時の営繕には特に米弊を寄せられる例多
       し。神功皇后三韓征伐の時、特に祈願あり神賽として和泉の国、葛城の地を神
       地として寄せ給ふと言い伝えられている。毎年6月8日神楽を奏し、神湯を献
       じ葛城、高野先達等、来拝して崇厳を極めたと言われる。境内社として高野神
       社、厳島神社、百合野神社、狩場大明神がある。三野国牟毛津の末裔蔵吉人を
       丹生都比売神社に勤仕していたが、その子孫がこの地に住み狩猟を事としてい
       た。弘法大師が高野に登る際、白黒2匹の犬を卒いて先導した。功績で里人が
       同人を神として祀り狩場明神と名付けたと伝えられている。」

       日野西眞定先生の、「かつらぎ町宮本丹生・狩場神社の縁起について」と題さ
       れた論文の中から、「皮張明神縁起 併 祭礼由来記」の一部を引用させてい
       ただきます。
      「敬テ皮張王子の始終を考えるに、本地は老文殊寂光の都を出御し、当社の明神
       ト顕れ、(中略)
       是を丹生津比塔g唱る事は、直に神躰をさゝす降臨の地をよふ、神明を貴むて
       なり。此神息高野太神ハ、高皇産神の女息栲幡千々姫を娶りて一子を誕す。犬
       山師宮内太郎家信ト号す。大師初登山のむかし眞土峠に至りて一人の猟師に逢
       り。眼光爛々たり。問辯訖て、白黒の二犬を随へ、弓箭を帯し、三こ(月ヘン
       に古)の松根まて前導せしハ此神とかや。(中略)
       其かみ人世をさり給ひし時、大師の化導にて百合草野に葬り奉る。彼社頭より
       上へ五六町許り登り、路傍の小社是也とそ。其節ハまた野の名あらす。殯歛の
       山行に、百合草の花蔓々たり。依之後世ゆり野の明神とあかめ來れり。(後略)」
  住  所:和歌山県伊都郡かつらぎ町宮本1
  電話番号:
  ひとこと:この、神社については、丹生についていつも教えてくださる、かまどさんから、
      「狩場明神が、空海を高野山まで案内した後、この地で百合に姿を変えたという
       伝承がある」
       と教えていただいたことから、是非、一度参拝したいと思っていました。

       丹生都比売神社の神職さんに伺ったのですが、百合に姿を変えたという記述が
       どこにあるかは、よくわからず、口伝かもしれないということでした。

       が、かまどさんから教えていただいた話しによれば、この狩場明神は、二匹の
       犬と一緒に化け蜘蛛退治をしたという話まであるとか。
       そして、その後、狩場明神と犬は黒い雲に覆われ・・・雲が去った時には、狩
       場明神も、犬もおらず、美しい百合の花が咲き乱れていたとされているそうで
       す。

       つまり、犬も、百合に化身した、と。
       なんて美しい話でしょう(#^.^#)
       乙女心をくすぐります。

       しかし、鎮座地についての詳しい地図は、探して見ても見つからず、まず、宮
       本へ入るための道が、既に迷路の様を呈しています。

       いくつもの分岐路があり、蜘蛛の巣のように広がり、縮まり、太陽が出ていて
       さえ、方向を見失いそうになります。
       これは、狩場明神に退治された、化け蜘蛛の仕業ねっ!?
       ・・・と吠えても仕方ありません。

       それに、どうやらうちの旦那の頭には磁石が入っているらしく、何度曲がって
       も、自分がどちらを向いているか、把握しているんですね。
       多分、先祖は渡り鳥だったのでしょう。

       宮本に入るとすぐ、高台に鳥居を見つけることができました。
       村を一望できる位置。
       村の守り神が鎮座なさるに相応しい場所です。

       それが、丹生神社。
       扁額には、「丹生狩場神社」と書かれています。

       ご祭神は、丹生都比賣神と、狩場大明神。
       狩場明神は、空海を高野山へ案内した猟師であるとされています。
       そして、この神は、白犬・黒犬を連れていたとされます。

       そのせいか、この神社の狛犬は、妙に犬っぽい。
       普通、狛犬は、「犬」とは名ばかりで、獅子の姿をしているのが常です。
       しかし、ここの狛犬は、「ポチ」と呼びたくなるような可愛らしさなのです。

       これは、狩場明神の連れていた白犬・黒犬を模しているのかもしれません。

       この神社から百合野社までは、かなり離れています。
       正直、運が良くなければ、辿り着けなかっただろうと思います。

       この神社の前で、うろうろしている時、一台の軽トラックが登ってきたんです。

       ものすごい坂道ですから、一度ブレーキをかけたら、またエンジンが安定して
       回転するまで時間がかかります。
       わかっていたのですが、とにかく、誰かにお話を聞きたくて、運転手さんに声
       をかけました。

       運転手さんは、百合野社はご存じないということでした。
      「見たことも聞いたこともないなぁ」
       そういうお話でした。

       が、諦めて帰ろうとしていたとき・・・。
       トラックが戻ってきたのです。
       よほど急いでくださったのでしょう。
       急スピードの上、バックで戻ってきてくださいました。
       Uターンの時間さえ惜しんでくださったんですね。

       坂道を登ったところに、百合野社があったということ。
       急いで登って見ると、本当に目立たないところにあります。

       きっと、百合野社を探しながら登ってくださったのでしょう。
       親切なトラックの運転手さんに感謝m(__)m

       写真ではわかりづらいかもしれませんが、このお社は、少しこんもりした丘に
       鎮座しています。
       もしかしたら、古墳かもしれません。

       皮張明神縁起にあるように、「大師の化導にて百合草野に葬り奉」った場所な
       のでしょう。

       さて・・・、縁起について、ちょっと気になる記述があります。
       それは、
      「此神(丹生津比刀j息高野太神ハ、高皇産神の女息栲幡千々姫を娶りて一子を
       誕す。犬山師宮内太郎家信ト号す。」
       という一文です。

       犬山師宮内太郎家信が空海を案内したとありますから、
       犬山師宮内太郎家信=狩場明神
       とされていると考えて良いでしょう。

       すると、こうなります。
       丹生津姫の息子である高野太神が、栲幡千々姫と結婚して出来た子が狩場明神
       である。

       日野西先生は、このくだりは後世に作られた伝承だと説明されていますが、そ
       れにしても、なぜ、後世このような伝承が作られたか、気になります。

       なにしろ、栲幡千々姫とは、天孫・瓊々杵尊の母なのです。
       栲幡千々姫の夫は天忍穂耳命。天照大神の長子です。

       つまり、この伝承では、天照大神ではなく、丹生津姫命。
       天忍穂耳命ではなく、高野太神。
       瓊々杵尊ではなく、狩場明神が、それぞれ、栲幡千々姫と関わっていることに
       なります。

       丹生大明神告門によれば、丹生津姫は伊佐奈支、伊佐奈美の命の御兒、天の御
       蔭日の御蔭丹生津比唐ニなっている・・・つまり、天照大神とは姉妹なわけで
       すから、ほぼ同格に描かれるのは、さほど不思議はありません。

       しかし、瓊々杵尊と狩場明神となると、かなりイメージが違います。
       瓊々杵尊は、神話の中では甘やかされた坊ちゃんです。
       多数の従者に守られ、猿田彦命に案内されて、ようよう天から地へ降ってきま
       した。

       それに引き換え、狩場明神は、空海を案内したり、土蜘蛛を退治したり、自ら
       が労働する神です。

       甘やかされた感は全くありません。
       そして、「犬山師」とされています。

       しかし、格としては、瓊々杵尊と同等であることになります。
       これはどういう意味があるんっでしょうね?       

       また、狩場明神が、犬と共に、化け蜘蛛を退治したというのは、今昔物語に出
       てくる、「美作の国の神、猟師の謀に依りて生贄を止めた語」を思い出させま
       す。
       しかも、狩場明神は、「猟師」として登場することもしばしばあるようです。

       ここで退治するのは、化け蜘蛛ではなく、化け猿ですが、犬と共に、人々を苦
       しめる化け物を退治する、という部分は似ています。

       今昔の化け猿は、「神」であり、生贄を獲るという点で人々を苦しめていまし
       た。

       民話では、化け蜘蛛も、「人を食べた」とされています。
       つまり、「生贄」を獲っていたのかもしれません。

       猿神を退治したのは猟師。
       化け蜘蛛を退治したのも猟師。

       今昔など、仏教説話では、猟師は、「成仏できない職業」のように表現されて
       います。
       殺生を常とする職業だからでしょうね。
       そして、猿神退治の猟師は、人々を苦しめていたとはいえ、「神」を殺したの
       です。

       そういう眼で見ると、猿神退治の猟師も、狩場明神も英雄でありながら、何か
      「業」のようなものを背負った存在であると言えるかもしれません。

       その「業」を、「天孫」と同格とすることによって解消しようとした・・・。
       そう考えることもできます。

       しかし、どうもそういう考えは、みみっちい気もします。

       それよりも、私が考えるのは、かぐや姫の物語です。
       かぐや姫は月の世界から、人間の世界に下りてきます。

       ここ、かつらぎ町は、高地です。
       高天原とまでは言わずとも、見晴らしの良い場所です。

       狩場明神は、ここから、紀ノ川そばまで下りて生活したことはなかったのでし
       ょうか?
       もしくは、狩場明神は、もっと「高い」ところから降りてきた・・・とか。

       ・・・そうするとですね。
       今度は、素戔鳴尊を思い出します。
       素戔鳴尊は高天原を追放され、その後、生贄を獲って人々を苦しめていた八俣
       の大蛇を退治しました。

       つまり、狩場明神は、何か理由があって、「天下りした」。
       このことを含ませるために、瓊々杵尊と同格のように描かれた・・・と、
       もっちろん、妄想でしかありませんが、そんな風に思えるんです。

       天下りが何を暗喩しているかはわかりません。

       自らよりも「格下」と思う家に、養子として入ったのかもしれませんし、
       山の上から低地に降りたということかもしれません。

       しかし、そのことに深い意味があった。
       だからこそ、瓊々杵尊に喩えることで、後世にその事実を残した。

       そう考えるほうが、空想が広がるんじゃないでしょうか。
       広げるだけ広げて、収集つかないんですけどね〜(^^ゞ

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