採取地域:奈良県吉野郡十津川村 ひとこと: 原 典:十津川村観光課発行「十津川村」 登場人物:村上彦四郎 護良親王 芋瀬荘司 物 語:ここ、十津川は、落人に親切な村で聞こえています。 平清盛の孫であるところの、平維盛もこの地に匿われ、天寿を 全うした、といいます。 落ち延びた護良親王を、手厚く匿った、弓の名手・戸野兵衛と、 竹原八郎も十津川の人間でした。 しかし、幕府方の熊野別当の追撃のため、十津川もから高野山 に向かう途中の、芋瀬でのこと。 全くの四面楚歌では心もとない、と思った護良天皇は、芋瀬の 荘司を訪ね、援助を申し入れようとしたのです。 が、荘司は、援助どころではありませんでした。 「幕府からの命令で、本当であれば、親王を捕らえねばなりませ ん。しかしそれは忍びないので、ここであなた様と戦って、逃 げられたということにしていただけませんか?」 まぁ、腰抜けっていえば腰抜けですが、人間、分を知らないと、 ろくなことになりません。 この荘司は、自分の肝の小ささを知っていたんでしょう。 「黙って親王が村を通過するのを見過ごす」 というのが、彼の譲歩だったんでしょうね。 小心なうえに非力な人間が、「匿いましょう」ってきばったと したら、どんな悲惨な結末になるか。 この荘司に誠意がない、と断じるのは間違いってもんです。 しかし、 「つきましては、ここで戦ったという証明になるように、その錦 の旗か、顔が売れている人を2~3人、どうぞここにおいてい っていただけませんでしょうか」 ってなことを言ったもんですから、印象はぐっと、ぐ~~っと 悪くなりました。 厚かましいというか、恥知らずというか・・・。 落ち延びようとしている人から兵を(しかも有名な)取り上げ るっつぅのは、ひどい。 そんなわけで、護良親王は、錦の旗を置いて、芋瀬を通過しま した。 「こんなことなら、荘司に声かけるんじゃなかったよ」 と思ったでしょうねぇ。ほんと、その通り。 さて、この護良親王の一行に遅れてやってきたのが、豪胆で知 れる村上彦四郎です。 村を通り過ぎようとすると、荘司の家に錦の御旗が・・・。 ばかばかっ!! 荘司ってば、錦の御旗を見せびらかすなんて、大ばかっ!! 親王を匿うほどの力量がないことは自覚できたのに、錦の御旗 に相応しい人間では自分がないことはわからんかったのね。 あぁ、人間って切ないわぁ。 村上彦四郎は、そりゃぁびっくりします。 「なんで親王様の旗がこんなとこに?」 そりゃぁ問い詰めます。 「なんで親王様の旗がこんなとこにあんねん?」 荘司は、ごまかそうと思ったんですが、この強そうな男に、親 王に刃を向けたと誤解されるよりは、正直に言ったほうが得策 であると思ったのでしょう。 正直に、 「通し賃代わりにもろたんですわ・・・」 と答えたのでした。 情けない男ねっ!! 彦四郎は、それを聞くと納得・・・するはずもなく、 「あほんだらぁあ~~!」 と旗を持っていた下人を放り投げ、旗を取り返し、親王を追い かけたんでした。 放り投げられた下人は、田圃におっこち、腰を抜かしてしまい ました。 Q.主人である荘司は? A.腰抜けだ。 Q.下人が落ちた田圃は? A.腰抜田 となり、長くこの地で語り継がれたのでした。 この田圃は明治におきた洪水により、川の底へ沈んでしまいま したが、「腰抜田」の名前は残念ながら残ってしまい、この名 のない下人が、「腰抜」に仕えながら、「腰抜け」た、ことが、 語り継がれることになったのでした。 吉野は、南朝の悲しい物語があちらこちらに残っていますが、 この「腰抜田」は、なんとなくユーモラスで、ほっとする物語 なのでした。