九頭龍神社レポート BY KAGさん




布留川上流の九頭神社(三社)の現地訪問を行いました。
石上神社や桃尾の滝上流の調査以来、何度も足を痛めたのですが、
だいぶ回復したので、慣らしを兼ねて歩きました。

コースは、天理駅→石上神宮→内馬場町:春日神社→布留の交差点
(この間のみバス)→苣原町:八頭神社→苣原町:九頭神社→
下仁興町:九頭神社→上仁興町:四社神社→長滝町:九頭神社→
滝本町:石上神社→桃尾の滝→石上神宮→天理駅。

内馬場町の春日神社は、今後の『布留山調査』の下準備として
地形確認を兼ねて行ってきました。
布留山の裏側にあたる集落です。

三つの九頭神社に関しては、

  1。各社とも布留川支流の上流部、小川の横に鎮座している。
  2。旧村社であるが、通常の村の鎮守とは何か印象が異なる。
    いわゆる、春日さんや住吉さん、八幡さん、天神さんなどを
    祭りましたという印象ではない。だから諏訪さんなのか?
  3。しっかりとした拝殿があり、村の宮座が継続しているようだ。
  4。各村への入口になる道には、榊や藁束、御幣を括り付けた
    厄除けの縄が路上高くに差し渡している。
  5。周囲の木立が印象的。山林志向は明確に感じる。
  6。本殿地として、石垣で築き上げ瑞垣を設けている。
  7。しかし、拝んでいるその先に、容易に山を意識できる。
    特別な降雨祈願のための聖地が在るように思える。
    水源地への祭祀かな?
  8。以上をまとめて、山・木・川・水源のキーワードを示す。
という、一般的な所感しか得られませんでした。力量不足です。

あと、藤井町の三十八神社や竜王山山頂の祠など残りましたが、
都祁方面の出雲建雄神社や葛神社のほうが先決かと考えています。
また、桃尾の滝から長滝町への水源ルートを、もう一度、次の冬季に
綿密な再調査を行い、前回のリベンジとしたい気持ちです。

各社の様子は以下の通り

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九頭神社(その1)

天理市史より、
  天理市苣原町山内:九頭神社
  祭 神:建御名方神
  境内社:火産神社・蛭子神社・琴平神社
  境 内:八二五平方メートル
 『創祀は明かではないが、社頭には目通り周囲数メートルに及ぶ
  杉木立が繁っていていかにも古社らしい風格を備え、もとは
  吉田神道の直轄で「惣社九頭神社」の掛額の裏に
  「神祇道管領 卜部朝臣良長」の銘が刻まれている。・・・』
と、記述されています。

惣社九頭神社の額は、拝殿の中にかけてありました。
拝殿は、石上神宮摂社出雲建雄神社の国宝拝殿に似たスタイル。
拝殿裏の本殿地は6m四方ほど。石垣で1mぐらいの高さに
本殿地を築き上げ、その上に本殿の祠をまつってありました。
拝殿から覗くと斜めに見上げる格好なので、立礼をしても、
座礼をしているのと変らない角度になっています。
東南に向って拝む方向ですので、本殿は北西向き。
これは立地条件によるものと思いました。
敷地の横は小川、天理ダムに注ぐ支流のひとつ。

神社名は石燈篭などにも認められますが、由緒書などありませんので、
祭神名『建御名方神』については確認できませんでした。
境内社は、5つの小祠が並んでいまして、向って右から
  ・事代主命。
  ・金刀比羅大神。
  ・奥津比古大神、奥津比メ(口扁に羊の旁)大神
  ・拾羅大神
  ・天照大御神、春日大御神、鹿島大神
とありました。天理市史の記述と少し異なります。
この中で、奥津比古大神、奥津ヒメ大神、拾羅大神がわかりません。

境内は苣原のバス亭から400mほど福住側へ進んだカーブのところ、
国道から川を渡った対岸の山裾にあります。
天理市史にあるように、太い杉木立が多くあり圧倒されます。
山の北斜面側なのと、巨木に囲まれているため日差しが遮られて、
落ち着いた雰囲気です。国道がなければ森閑としているのでしょうが。

鳥居を潜ってすぐに、谷側へ90度に曲がった大木があります。
そのため、枝々が柳のように枝垂れていますが元気に繁っています。
直径1mほどの幹が直角に曲がっている様子は一見の価値ありです。

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九頭神社(その2)

天理市史によると、
  天理市下仁興町垣内:九頭神社
  祭 神:建御名方神
  境内社:白山神社、八雲神社
  境 内:一○八九平方メートル
 『旧指定村社で、古くは葛神社とも書かれた。鎮座は詳らかでない。
  古来から本殿がなく、こんもりと茂る谷間の平地約一○平方メートルを
  玉垣で囲い、御本地といい、神木をもって神体としている。
  明治三十九年の調査書に「御真神木、樫、曲尺一丈五寸五分」とあって
  樹齢よりみてその古さを知ることができた。この御本地の前に清泉が
  あって神橋を架け、拝殿に続いている。・・・』
と、記述されています。

下仁興町は国道仁興口からの別れ道を入り、1kmほど進んだところ。
この分岐道を入ってすぐ左側に50mほど草に覆われた石垣が続きます。
この石垣がいつ頃の時代で、この上に何が建っていたのか興味がわく処。
途中の道は平坦なので歩き易い。ここも、天理ダムに注ぐ支流のひとつの
小川に沿って遡る道になっています。
村の中ほどで、小さな川を渡り、九頭神社の境内に入ります。
平成11年に建て替えられた新しい拝殿があり、明るくきれいです。
北に向って拝む方向なので、境内は南向きに開けています。

天理市史にあるように本殿は無く、御本地が1mほどの高さに石垣で
築かれていました。天理市史の写真には御本地を囲む板塀がありますが、
現在では残っていませんでした。御本地の神木は樫の古木ではなく、
幹の太さ10cm、高さ5mぐらいの、まだ新しい常緑樹に代っていました。
まったく祠などが無く、ぽつんと神木だけです。
この神木を通して、背後の山中を拝んでいる形になります。

また、「本地の前に清泉」は、泉が湧いておらず溜まった水は濁りきって
いました。まるで工事現場のコンクリ基礎に溜まった雨水のようです。
せっかく綺麗な拝殿になったのですから、村人の世話を願うところです。

拝殿横の小高いところに、真新しい小祠がひとつあります。
女神を祀る祠の様式なので、これが境内社の白山神社だろうと思います。
八雲神社に当る祠がないので、合祀されているのでしょう。
この小祠にしても、祭神名などは記されていません。
神社の鳥居に九頭神社とありますが、祭神「建御名方神」を裏付ける
文字は見付けられませんでした。

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九頭神社(その3)

天理市史によると、
  天理市長滝町長滝:九頭神社
  祭 神:建御名方神
  境内社:白山神社
  もと村社、由緒不明。
とあります。

天理ダム公園を見下ろす、国道長滝口バス亭から長滝町内までは、
約1.5km、勾配のきつい登り坂がずっと続く。
この道も布留川に注ぐ支流に沿って遡るコースです。
集落近くになって茶畑が目立ちます。苣原や仁興では見かけなかった。
集落の奥、登ってきた道から川の対岸に神社。
民家のかげになり、入口が判りにくい。

石鳥居の前に『九頭神社』と彫った石柱があるので、神社名は判明。
由緒や祭神を示す説明は境内に見当たらなかったです。
しかし、古くはなっているが、下仁興町の九頭神社のように
しっかりとした拝殿があります。さらに拝殿の横は、小さな舞台の
ような建物もありました。村のお祭りで何か演じるのでしょうか。

拝殿の裏に廻ると、やはり石垣で1mほど高く築き上げた本殿地が
あり、その上に祠が祀ってありました。他の九頭神社と異なるのは、
その祠のすぐ後ろには、2mx3mほどの磐がありました。

天理市史に記載のある境内社を見付けられませんでした。
ここまでで相当疲れてしまっていたので、
どこで見落としたのか自信がありません。
少なくとも、すぐに判る範囲には無かったようです。

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この後、長滝口へ戻り、天理ダムを通って、滝本町の石上神社、
そして桃尾の滝を参拝し、石上神宮に戻りました。
途中、何度も立ち止まり、足の痛みと呼吸を調整しながら
降りてきましたので、豊井神社に立ち寄る余力はありませんでした。

(石上神宮境外末社・恵比寿神社の裏にある民家の表札を見て、
 『戎浦』さんとあるのに面白みを覚える余裕はありましたけど。)

初夏の山村田園地帯はすばらしい風景でしたが、国道25号線の
産廃トラックだけは恐怖を覚える弾丸走行でした。やむことのない、
ひっきりなしの交通量です。まだ、街中の道路のほうが安全に思えます。
それに沿道の夥しい砂利やゴミは目に余ります。ライダーには危険。
婆さんたちは怯えながら、田畑への道を急いでいます。
何とかならないものかと思いながら、何ともできないことに苛立ちを。
まずは、現地に多くの人々が行って、目の当たりにすることでしょうか。

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