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大鳥羽衣浜神社

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  祭  神:両道入姫皇女
  説  明:境内看板を転載します。
      「謹みて惟みるに創祀せられしは、文武天皇の御代にして、慶雲三年に鎮座せら
       れ今日に至るまで実に1260年有余年を経たる延喜式内の古社であります。
       古くより井戸の守大明神と申し上げ、尊崇せられてまいりました。
       境内手水舎の井戸水は古来霊泉として近郷近在より拝戴せられて居りました。
       例祭十月五日

       井戸守稲荷社
       御祭神 井戸守稲荷大明神
       由緒
       稲荷大明神は五穀豊作・商売繁盛の神として尊崇せられ地元氏子民の要望によ
       り昭和37年、新たに鎮祭せしものなり。
       例祭 初午

       金刀比羅宮
       御祭神 大物主神
       由緒
       古く、当地方は半農半漁の處として営まれ、
       舟神様である琴平さんを崇拝。現国道脇に奉斎されしを、昭和40年御遷座申
       し上げ、鎮祭せられしものにして、この燈籠に大神様の御霊を籠らるものとし
       て拝する燈籠は文化年間のものなり。」
  住  所:大阪府高石市羽衣5−2−6
  電話番号:072−261−2157
  ひとこと:社務所でお話を伺うと、この神社は堺市にある大鳥大社の摂社にあたるのだそ
       うです。

       境内に「羽衣砂丘遺跡」があるのですが、これまた社務所の方に伺ったところ、
      「発掘調査していただいたんですが・・・土器などはでてきたんですけどね・・
       たいしたものは出てきませんでした(^^ゞ」
       とのこと。

      「羽衣」という名称からイメージする、「羽衣天女」に関する伝説がないか、と
       いうことも伺ったのですが、
      「ないです」
       とのことでした〜〜〜。

       さてさて。
       とはいいましても、「羽衣」になんのひっかかりもないわけではありません。

       そもそも「羽衣天女」にはいろんなパターンがあります。

       まず、貧しい漁師の男が、浜辺を歩いている時、美しい羽衣を見つけ、これを
       奪う・・・という導入部は大体共通してるようです。

       ところが、次に、この羽衣の持ち主である天女が
      「返してくれ」
       と頼むと・・・。

       大概は、返さず、天女を妻にしちゃうという風に話しが進むのですが、
       中には、「天女の舞を見せてくれたら返す」と、その場で返却するパターンも
       読んだことがあります。
       小学館から出版されていた「日本童話宝玉選」(お話宝玉選だったかも)には、
      「天の羽衣」が、3パターンほど収録されていまして、そのうち一つのパターン
       がこれでした。

       この童話集、今では手に入りません(T_T)
       いわゆる「出版コードにかかる言葉」が頻出なんですよね(笑)
       いとこに譲ったら、ほとんど読まずに棄てたとのこと(>_<)
       今調べてみたら、これ、佐藤春夫編著なんですね〜。
       あぁ、棄てられるなら、持っておけばよかった。ちっ!!

       ・・・は、まぁいいとしまして、まずこれが、一つ目のパターンです。

       次のパターンは、天女はいやいやながらも漁師の妻になるが、ある日、羽衣
       を発見して、いそいそと天に帰ってしまう、というもの。

       最後のパターンは、最初はいやいやながら妻になった天女も、漁師の情に触
       れ、愛を知るに至るものです。
       で、やっぱり羽衣は発見するんですけど、夫に「天まで迎えにきて」と言い
       残すというパターンです。

       岩波文庫「日本の昔話」に収録されている「天降り乙女」では、天女は夫が
       やってくるのを、機織をしながらずっと待っています。

       夫は竹を上り、天へと向かいます。

       ところが、そこでハッピーエンドにはならない。
       天女の父神による試練が待ち受けているんですね。

      「一千町歩の山を切り拓け」
      「拓いたところに田を耕せ」
      「その田に冬瓜の種を撒け」
      「冬瓜を収穫しろ」

       もちろん、普通の人間にはできない芸当ですが、そこはそれ、天女の手助け
       がありますから、この夫は、難題をこなしてしまいます。

       すると父神は、
      「よくやった。ではお祝いに、この冬瓜を縦に割りなさい」
       と命令します。

       天女は、
      「縦に割っちゃだめ、横に割らなきゃ!!」
       と目で合図するのですが、時遅し。

       縦に割られた冬瓜からは、水が滝のように流れ出て、川となりました。
       これが、天の川です。

       天女は「織女星」となり、夫は「犬飼星」となりました。

       つまり、天稚彦物語の男女逆転バージョンですね。

       ここで、「七夕」と絡むのは非常に興味深いのですが、今回注目したいのは、
       天の羽衣を纏った乙女が「白鳥の姿」に変身するとする伝承が多いことです。

       さて、話しは一旦逸れます。

       この神社の御祭神、両道入姫皇女は、大和武尊の后で、仲哀天皇を生んでお
       られます。

       古事記では、「布多遅の伊理毘売」と表記され、垂仁天皇の女とされてます。
       生んだのは、帯中津日子お一方とされています。
       ちなみに、同じく倭建命の妻に、「布多遅比売」という名が見え、この姫は、
       近江安国造の祖・意富多牟和気の女。御子は稲依別王一方。

       日本書紀によれば、日本武尊は、両道入姫皇女を妃とし、稲依別王・足仲彦
       天皇・布忍入姫命・稚武王を生まれた。
       としていますので、古事記にある、「布多遅の伊理毘売」と「布多遅比売」
       は、同一人物なのかもしれません。
       ・・・いや、単に名前が似てるのでごっちゃになってるだけかもしれません
       が・・・。

       ただ、ここで言いたいのは、この神社の御祭神・両道入姫皇女は、「天皇」
       を生んでいるということ。

       ヤマトタケル命は、天皇となっていませんから、両道入姫皇女がよほど有力
       だったのでしょうか。

       常陸国風土記では、ヤマトタケル命は、「天皇」と呼ばれています。
       ですからもしかしたら、ヤマトタケルは「天皇」だったのかもしれません。
       記紀からその「事実」が消されているだけかも。理由はわかりませんが。

       としたら、両道入姫皇女は、「皇后」でしょう。

       その皇后が、「天の羽衣」を思わせるこの土地に祀られている。

       一帯、泉州には、ヤマトタケル尊に関わる女性を祀るとされる古社がぽつぽ
       つと鎮座します(大鳥大社の摂社だ、とも言いますが(笑))。

       しかし、例えば、多治速比売神社は、弟橘姫を御祭神とします。

       そして、ヤマトタケル命ご本人を祀る、大鳥大社は、堺市に鎮座。

       ヤマトタケル命を祀る神社が「大鳥」。
       そう。ヤマトタケル命は絶命された後、白鳥になって大和に戻られるのです
       ね。

       ・・・白鳥っ!?

       そう。
       私はそれが気になる。

       ヤマトタケル命と両道入姫皇女と天の羽衣。

       そして、七夕。

       泉州に点在する「牛神」とはなにか?

       泉州を流れる「天の川」とは?

       この神社は、そのヒントになるかもしれません。       

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